【投資の歴史】なぜ日本は「失われた30年」に突入したのか?バブル崩壊の真実と「バランスシート不況」の教訓

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【基礎・制度】総務の教科書

Last Updated on 2026年1月7日 by けん実おじさん

熱狂の記憶と、その後の静寂

今でも鮮明に覚えています。

私がまだ小学校低学年だった頃のことです。

私立高校の教師をしていた父が、ある日、珍しく上機嫌で帰宅し、子供の私に向かってこう自慢してきました。

「今年のボーナスはすごいぞ。封筒が立つくらいだ」

教師という、本来景気に左右されにくい職業の人間でさえ、金回りの良さを隠しきれない。

それが1980年代後半の日本の空気でした。

当時の日経平均株価は38,915円(1989年末)。

「東京の皇居の土地代だけで、アメリカのカリフォルニア州全体が買える」と本気で語られていた時代です。

しかし、その直後に始まったのは、父のボーナス自慢ではなく、終わりの見えない不況のニュースばかりでした。

なぜ、あの熱狂は唐突に終わり、なぜ日本だけが30年もの間、立ち直れなかったのか。

新NISAで再び「投資ブーム」が到来している今こそ、総務おじさんの視点で、この国の「貸借対照表(バランスシート)」を監査します。


第1章:バブルの種は「プラザホテル」で撒かれた

バブルの原因を一言で言えば、「アメリカを救うために、日本がカネ余りになった」ことです。

1. 「強すぎる円」と金融緩和の罠

1985年9月、ニューヨークのプラザホテルで歴史的な合意がなされました(プラザ合意)。

当時、貿易赤字に苦しんでいたアメリカを救うため、先進5カ国(G5)は「ドル安・円高」へ誘導することで合意しました。

結果は劇的すぎました。

1ドル=240円台だった円相場は、わずか1年で150円台まで急騰。

「円高不況」で日本の輸出産業が死にかけると、日本政府と日銀は慌てて公定歩合を2.5%という歴史的低水準まで引き下げました。

2. 本業を捨てた企業たち

金利が下がれば、企業は設備投資をするはずでした。

しかし、当時の企業経営者たちは、もっと手っ取り早く儲かる方法を見つけてしまいます。

それが「財テク(財務テクノロジー)」です。

  • 銀行から安くお金を借りる。
  • その金で株や土地を買う。
  • 転売して利益を出す。

製造業でありながら、本業の利益よりも「金融収益」の方が多い企業が続出しました。

私の父のボーナスが増えたのも、学校の基本給が上がったからではなく、資産運用益や社会全体のインフレのおこぼれだったのでしょう。


第2章:崩壊のトリガー「総量規制」という劇薬

永遠に続くと思われた「土地神話(土地の値段は絶対に下がらないという信仰)」は、政策的な「人災」によって強制終了させられます。

1. 三重野ショック

1989年末、第26代日本銀行総裁に就任した三重野康氏は、「平成の鬼平」と呼ばれ、バブル退治のために急激な利上げを断行しました。

これにより、株式市場は1990年の年明けからつるべ落としに暴落を始めます。

2. 止めを刺した「不動産融資総量規制」

さらに決定的だったのが、1990年3月に大蔵省が出した通達、「不動産融資総量規制」です。

内容はシンプルに「銀行はこれ以上、不動産屋に金を貸すな」というものでした。

これにより、土地の買い手が市場から消滅。

地価は大暴落し、銀行が担保として持っていた土地は「二束三文」となり、巨額の不良債権だけが残りました。


第3章:なぜ回復しなかったのか?「バランスシート不況」の正体

バブル崩壊自体は、どの国でも起こり得ることです。

しかし、

日本経済の「異常」は、そこから30年も立ち直れなかった点

にあります。

この謎を解き明かしたのが、エコノミストのリチャード・クー氏が提唱した「バランスシート不況」という理論です。

1. 「利益最大化」から「債務最小化」へ

通常、企業は「利益を最大化」するために行動します。

しかし、バブル崩壊で資産(土地・株)の価値が激減する一方、借金(負債)は額面通りに残りました。

多くの日本企業が、事実上の「債務超過(資産より借金が多い状態)」に陥ったのです。

この時、日本企業の行動原理は劇的に変化しました。

「利益なんてどうでもいい。とにかく借金を返して、倒産を防ぐ(債務最小化)」 これが最優先事項となり、稼いだ利益はすべて借金の返済に消えていきました。

2. 合成の誤謬(ごびゅう)

個別の企業にとって「借金返済」は、生き残るための正しい行動です。

しかし、日本中の企業が一斉に「借金を返さない、設備投資もしない、賃上げもしない」という行動をとった結果どうなったか?

経済全体からお金の流れが消え、猛烈なデフレ不況が定着しました。

これが「失われた30年」の正体です。

企業が借金を嫌がっている以上、日銀がいくらゼロ金利政策を行っても、効果があるはずがなかったのです。


第4章:清算されなかった闇と、犠牲になった世代

バブルの処理において、私たちは二つの大きな「負の遺産」を残しました。

1. 長銀破綻と「瑕疵担保特約」

1998年、日本長期信用銀行(長銀)が破綻しました。

約8兆円もの公的資金(税金)が投入された後、外資系ファンドにわずか10億円で譲渡されました。

さらに問題だったのは、譲渡契約に含まれた「瑕疵担保特約(かしたんぽとくやく)」です。

これは「譲渡後に債権の価値が下がったら、国が買い戻す」という、買い手に圧倒的有利な条項でした。

結果、再生した新生銀行はリスクの高い債権を国に買い取らせ、外資は巨額の利益を得ましたが、そのツケを払ったのは国民でした。

2. 氷河期世代という「人柱」

企業のバランスシート調整の犠牲になったのは、当時の若者たちでした。

1993年から2004年頃に社会に出た「就職氷河期世代」です。

企業は、既存の正社員(バブル世代以上)の雇用を守るため、新規採用を極端に絞りました。

その結果、多くの若者が非正規雇用として社会に出ざるを得ず、現在に至るまで低賃金・未婚・親との同居(8050問題)といった課題を抱えています。

これは、日本経済が自らの延命のために未来を食いつぶした結果と言えるでしょう。


結論:歴史は繰り返さないが、韻を踏む

父がボーナスを自慢したあの日から30年以上が経ちました。

今、日経平均株価は当時の最高値を更新し、新NISAで多くの人が投資を始めています。

しかし、総務のおじさんとして、あえて警鐘を鳴らしたいと思います。

1. 「相場は永遠には続かない」

「土地神話」が崩壊したように、現在の米国株信仰も一本調子ではいきません。

暴落は、誰もが浮かれている時にやってきます。

2. 「借金」の怖さを知る

バブル崩壊で致命傷を負ったのは、借金をしてまで投資をしていた人たちでした。

「バランスシート不況」の教訓は、「資産(Assets)だけでなく、負債(Liabilities)の管理こそが生存のカギ」ということです。

投資は、あくまで「余剰資金」で行うもの。

生活防衛資金を確保し、借金(レバレッジ)に頼らない堅実な運用こそが、次の30年を生き抜くための唯一の解です。

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